私のジャーナリスト人生は、大阪の金融専門紙の記者から始まりました。
1980年代の当時、バブル期だった関西における金融業界というのは、バブル期からその終焉を迎えようというタイミングです。いま思えば、そこはまさに鉄火場の様相で、誰もが血眼になって「金(カネ)」の匂
いを追いかけていたような時代です。
そうした状況のなかで、重宝されてきた「表側の情報源」に「財務省人脈」があったのは、事実です。そこでは、財務省側からも様々な情報が降りてきました。時には、それが財務省側のリーク情報と知りながらも、情報源としての財務省は、欠かせない存在というのが当時の金融ジャーナリストとしての正直な感想だったと言えます。
かつて私は、財務省とも良好な関係にありました。
ところが、私が「積極財政」という財務省に異を唱える意見に賛同し始めたころから、様相は激変したのです。財務省から降りてきていた情報が一切ストップされてしまいました(いわゆる出禁。財務省からソッポを向かれ、無視されるようになった...)
情報をストップされたことで、金融ジャーナリストして辛い思いをした時期もありました(その代わり実は財務省の方針に賛同しない、ほんの一部の財務官僚や関係者からの情報は入りやすくなりましたが)。
しかし、反対者に対してそうした強硬策しか思い浮かばない財務省の体制では、今日のインターネット社会との共存は不可能です。これまでの財務省体制の終わりの始まりが、いままさに始まろうとしています。
財務省とはどんな組織なのか、いかに財務省は崩壊していったかを何かしらの方法で残しておきたい...
そう考えたのが、本講座制作のきっかけだったことを記しておきたいと思います。